U2とは

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1976年のデビューから誰一人メンバーが変わることのないオリジナル・メンバーで活動してるバンド。これまでに発表した作品(曲)は世界中のU2ファンから支持されており数多くの賞を受賞している。特筆すべきなのはグラミー賞獲得数22作品はロックバンド史上最多となっている。そして2005年にはロック(ロックンロール)に大きな影響や功績を残したミュージシャンやプロデューサーでかつデビューしてから25年以上活動しているのが条件の「ロックの殿堂」入りも果たしている。

U2の特徴は社会問題をテーマにした曲を発表することが多く、宗教紛争や反核運動、アパルトヘイトなどの人権問題、薬物依存症などについてメッセージ性が強い。またそれらもありチャリティーイベントにも積極的に参加している。特に、U2のボーカルのボノはアフリカの貧困救済やアムネスティインターナショナル、ジュビリー2000、ONE Campaign等の慈善事業に関わっており、アフリカのエイズ(AIDS:後天性免疫不全症候群)対策プログラム支援ブランド「RED」を2006年に設立した。
U2は、コンサートの規模や動員数でも話題となるバンドであり、2005年に開催したコンサートの中で、「Vertigo Tour」はコンサート収益1位を記録。2011年に開催したコンサートのなかでU2の「U2 360° Tour」が収益1位を記録した。また、ローリングストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティストにおいて第22位にランクイン。

U2という名の由来

バンド名の由来については諸説あるが、オリジナル・メンバーによると「バンド名を決める際に挙げた候補の内、一番良かったものを選んだだけで、特に意味はない」らしい。名前の由来を正式に決めないことで様々な人の言葉の解釈の自由こそが魅力とも語っている。

U2の歴史(デビューから1989年まで)

バンド結成からメジャーデビューまで

1976年、アイルランド・ダブリンにあるマウント・テンプル高校の掲示板にラリー・マレン・ジュニアがバンドメンバーの募集を記した張り紙を出した。これを知ったポール・ヒューソン(ボノ)、アダム・クレイトン、エバンス兄弟(兄のディック、弟のデイヴ(ジ・エッジ))が集まり5人でバンド活動を始めたのがきっかけである。当初のバンド名はU2ではなく「フィードバック(feedback)」や「ハイプ(Hype)」を経て、ディックが脱退した1978年に今のバンド名である「U2」と決定した。その後、地元のタレントコンテンストで優勝。それがキッカケでCBSアイルランドと契約。1979年に限定シングル「U2:3」を発表するが本格的なレコード契約までには至らなかったが、翌1980年にアイルランド・レコードと長期契約を交わすことになる。

1980~1983年

1980年2月、アイルランド国内でシングル「Another Day(アナザー・デイ)」をリリース。5月に契約したアイルランド・レコードからシングル「11 O’Clock Tick-Tock(11オクロック・ティック・タック)」をリリースしデビューする。

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プロデューサーのスティーブ・リリーホワイトのプロデュースでファースト・アルバム「Boy(ボーイ)」を発表。1981年にはセカンド・アルバム「October(アイリッシュオクトーバー)」、1983年にサード・アルバム「WAR(ワー)」を発表した。「WAR」のアルバムタイトルは母国アイルランドにおける宗教対立(カトリックとプロテスタント)」に対して、不偏暴力主義をアピールしている。またアルバム収録曲の「New Year’s Day」はポーランド民主化運動の独立自主管理動労組合「連帯」について取り上げた曲を作り、バンド初の全英シングルチャートトップ10入りを果たした。「Sunday Bloody Sunday(ブラディ・サンデー)」は北アイルランド問題の「血の日曜日事件」を取り上げた曲であり、当時のアイルランド共和軍(IRA)の活動を批判する立場を示した。このためIRA支持者から脅迫されることもあったという。「WAR」はバンド初の全英アルバム・チャート1位を獲得し、多くのファン・支持を集める結果となった。これに驕ることなく、さらに精力的なバンド・ライブ活動等により、U2の人気はイギリスやヨーロッパのみならず、遠い海を挟んだアメリカへも拡大した。アメリカの音楽雑誌「ローリング・ストーン」誌は、U2を1983年度の「最優秀バンド」に選出している。同年の11月にはU2のツアー最終公演地として日本を訪れ、初の日本公演を行った。来日時には音楽番組「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系)に出演し、「New Year’s Day」を披露するも、演奏途中でギターの音が出なくなるトラブルがあった。

社会問題や宗教観をストレートに表現するU2の音楽スタイルは、当時のポスト・パンク(ニュー・ウェイヴ)と呼ばれた世代の中で異彩を放っていた。この初期3作品のジャケットには上半身裸の少年(ピーターローウェン)の写真が使用されている。

1984~1989年

1984年、エチオピア飢餓救済を目指すバンドエイドのチャリティーシングル「Do They Knoow It’s Christmas」にU2のボノとアダム・クレイトンが参加。その後、ボノはアフリカ諸国の経済的自立を支援する様々な国際的プロジェクトに関与していく。バンドとしては新たなプロデューサーであるダニエル・ラノワとライアン・イーノを迎える。

u2_the_unforgettable_fire彼らが携わった4thアルバム「The Unfogettable Fire(焔)」をリリース。原題である「Unfogettable Fire」とは広島・長崎への原爆投下を生き抜いた被爆者達が描いた絵画のタイトルである。その絵画を見たメンバーが感銘を受けてアルバムに名付けられたものである。

シングル「Pride(In The Name Of Love)」はキング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)へのトリビュートソングであり、全英チャートシングル3位のヒットと曲となった。1985年にアフリ難民救済チャリティーコンサート「LIVE AID(ライヴエイド)」がロンドンにあるウェンブリー・スタジアムで開催され、それに参加した。
1987年に5thアルバム「The Joshua Tree」を発表。全英・全米共にチャート1位を獲得シングル「With Or Without You」「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」はBillborad Hot 100で1位となり、アルバムはそれに伴い一躍全世界で大ヒット作品となった。またロビー・ロバートソンのソロ・アルバム「ロビー・ロバートソン」にU2のメンバー全員が参加した。1988年に、アメリカツアーのドキュメンタリー映画作品「Rattle and Hum(魂の叫び)」を公開し、同じ名前のタイトルでアルバムもリリース。著名なアーティストであるボブ・ディランやB.B.キング、ヴァン・ダイク・パークスらが参加した。先行シングルの「Desire(デザイア)」は初の全英シングルチャート1位を獲得。1989年には2度目の日本公演が開催し、スペシャルゲストにB.B.キングが登場した。

この時期の音楽スタイルはアメリカのルーツミュージックに傾倒し、ロックの源流であるブルースやゴスペル、ソウルなどブラック・ミュージックの要素が積極的に取り入れられている。

U2の歴史(1990~現在まで

1990~1999年

東西ドイツ統一が行われ、その当時のベルリンで制作されたアルバム「Achtung Baby(アクトン・ベイビー)」を1991年に発表。それまでのバンドスタイルを大きく転換させ、テクノ・ビッグ・ビート等のジャンルを取り込んだ内容となっている。この時点でボノは次の様に述べている。「このアルバムは4人の男がヨシュア・トゥリーを切り倒している音だ」と。以前「The Joshua Tree」というアルバムを出していたがバンドスタイル、音楽路線を変えた意思を示した発言だったと考えられる。

このバンドスタイル・音楽路線の変更は、1993年発表の「ZOOROPA」、1997年発売の「POP」へと続いていく。u2_pop1990年代以降、U2のライブがより大規模になり、ロック・バンドとしての地位を向上・構築していった。
1992年、環境保護団体「グリーンピース」のセラフィールド(原子力施設)抗議活動に参加し、放射線防護服を着用しビートルズの「Help!(4人はアイドル)」のジャケットを真似るパフォーマンスを披露した。
1993年に「ZOO TOUR JAPAN」と題した東京ドームで日本公演を開催。「ZOO TV TOUR」の最終公演となった。

1995年に、コウモリがモチーフのダークヒーロで有名なバットマン。その映画「Batman Forever」に主題歌「Hold Me,Thrill Me, Kill Me」を提供した。また昔より親交のあるブライアン・イーノと「Passengers」名義で作成したアルバム「Original Soundtracks 1」を発表した。オペラ歌手ルチアーノ・パヴァロッティがフィーチャーされており、ビル・カーター制作のドキュメンタリー番組「Miss Sarajevo」を元にサラエヴォ包囲について取り上げた「Miss Sarajevo」はシングル・カットされた経緯がある。さらに、U2のボノとジ・エッジは映画「007 GoldenEye」の主題歌として「GoldenEye」を女性歌手であるティナ・ターナーに提供した。

1998年には「POPMART TOUR」で再び来日。報道番組「ニュースステーション」(テレビ朝日系)に生出演し、およそ15分間インタビューに答えた。同年秋に、U2史上初となるベストアルバム「The Best of 1980 -1990」を発表。そのアルバムに収録されている「With or Without You」が日本のドラマ中山美穂&木村拓哉ダブル主演の「眠れる森」(フジテレビ系列)の挿入歌に使用された。

2000~2011年

2000年、U2のボノ原作によるヴィム・ヴェンダース監督による映画「The Million Dollar Hotel」が公開。日本では2001年に公開された。サウンドトラックや主題歌「The Graound Beneath Her Feet」もU2が手掛け、提供した。(※ちなみに主題歌の作詞はサルマン・ラシュディ著の小説の中に出てくる詩である。)

同秋には、プロデューサーのブライアン・イーノとダニエル・ラノワを再び迎えたアルバム「All That You Can’t Leave Behind」を発表。“原点回帰”とも言えるサウンドに仕上がっており、世界的にヒットした。シングル「Beautiful Day」は全英シングルチャート1位となる。2001年には「Elevation Tour」を開催し、地元アイルランドのスレイン城で開催した際には約8万人を集めた。

2002年、アメリカで開催されるプロアメリカンフットボール・リーグの優勝決定戦である「スーパーボール」(第36回)のハーフタイムショーに出演。このハーフタイムショーは世界的に見ても非常に権威のある舞台であり、マイケル・ジャクソン、マドンナ、ローリング・ストーンズ、ビヨンセ等、音楽界を代表するミュージシャンが出演している。 なおこのハーフタイムショーには原則としてギャランティーが発生しない。ただ当該歌手がチャリティー活動等への支援を行っている場合にチャリティーを実施する財団や基金等へ寄付をする場合もある。

2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件で犠牲者となった全員の氏名をスクリーンに映し、追悼の意を表した。同年秋には2枚目のベスト・アルバム「The Best of 1990-2000」を発表。アルバムにも収録されている新曲「The Hands That Built America」が映画「Gangs of New York」の主題歌として起用された。

日本では、2003年9月から番組最終回となる2004年3月まで、報道番組「ニュースステーション」(テレビ朝日系)へのU2の楽曲の使用許可を下し、同番組のオープニングテーマ「Where The Streets Have No Name」、スポーツコーナーに「Lady With The Spring Head」、ニュース・フラッシュ「Discotheque」、エンディングテーマに「Electrical Storm」が使用された。

2004年にはアルバム「How To Dismantle An Atomic Bomb」を発表し、プロデューサーにスティーブ・リリー・ホワイトが復帰した。先行シングルの「Vertigo」はApple社の「iPod」のCMソングとして起用され、この曲が全英シングルチャート1位となる。またAppleのオンライン配信サービス「iTunus Store」限定で、「The Complete U2」が音楽配信された。

u2_vertigo2005年、「Vertigo」に続き、「Sometimes You Can’t Make It On Your Own」が全英シングルチャート1位に輝く。7月にはチャリティーコンサート「LIVE 8」に出演。メアリー・J.ブライジはアルバム「The Breakthrough」でU2のボノとアルバム収録曲「One」でデュエットし、翌年にはシングル・カットされて全英シングルチャート2位を獲得、ヒットした。

2006年、レナード・コーエンのドキュメンタリー映画作品「I’m Your Man」のサウンドトラックにレナードとコラボレーションした楽曲「Tower Of Song」を提供。同年秋には2005年8月に発生したハリケーン「カトリーナ」で被害に遭ったニューオリンズのミュージシャン達を救うため、ロック・バンド「Green Day(グリーン・デイ)」と「Saints Are Coming」(これはカバーであり、オリジナルは1978年発表のThe Skids)を発売し、全ての収益を寄付した。またベスト・アルバム「U2 18 Singles」をリリース。同年冬には8年ぶりとなる日本公演をさいたまスーパーアリーナで開催した。これは同年春に日産スタジアムで開催予定であったライブが「メンバーの家族が病気になった」という理由により延期されたため振替公演であった。この時、U2来日時に当時の内閣総理大臣(第90代)安倍晋三を表敬訪問し、総理へU2のボーカルであるボノのトレードマーク「サングラス」をプレゼント。この時アフリカの感染症問題に対して日本が貢献していたためである。U2のボノはこの日本の貢献について高く評価し、今後も世界をリードすることに期待していると述べた。また報道番組「筑紫哲也 NEWS23」(TBS系)ではU2のボノがインタビューを受け、音楽番組「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)にはU2全員でバンド出演した。U2が日本のテレビ番組に出演するのはボノ自身が8年ぶり、U2のバンドとしては23年ぶりのことであった。

2008年には、「Vertigo Tour」の模様を収録したドキュメンタリー3D映画「U2 3D」が世界で公開され日本では2009年に公開された。2009年1月に、アメリカ合衆国のバラク・オバマ大統領就任式で開催された祝賀コンサートに出演。キング牧師が「I Have a Dream」の演説を行ったリンカーン記念館で、「Pride」と「City Of Blinding Lights」を披露した。2月にアルバム「No Line On The Horizon」を発表し、その後「U2 360° Tour」がスタートした。8月に、U2のジエッジがジミー・ペイジ(Led Zeppelin)、ジャック・ホワイト(元The White Stripes)と共演した映画「It Might Get Loud」が公開され、日本は翌年2011年に公開。10月には「ベルリンの壁崩壊20周年記念式典」に招待されU2がブランデンブルク門前でパフォーマンスを披露した。12月から公開された映画「Brother」に主題歌として「Winter」を提供した。

2011年に、日本で起こった「東日本大震災」で被災された方々への支援を目的としたコンピレーションアルバム「Songs For Japan」へ「Walk On」を提供した。6月にU2のメンバーであるボノとジ・エッジが音楽を担当したブロードウェイミュージカル「Spider-Man -Turn Off The Dark-」が公開。また前年にボーカルのボノの負傷により出演キャンセルしたイギリスのロックフェスティバル「Glastonbury Festival」に主役であるヘッドライナーとして出演した。

2012年、発売20周年を記念し、2011年末に「Achtung Baby」(リマスターで再販)がBillboard 200で再び1位を獲得。2013年には反アパルトヘイト運動家で、元南アフリカ大統領のネルソン・マンデラの著書を原作とした映画「Mandela : Long Walk to Freedom」の主題歌に「Ordinary Love」を楽曲提供した。

2014年2月に、「Invisible」を発表。これはインターネット限定配信曲で、配信開始から24時間限定で無料ダンロードができた。これはアメリカにある銀行のバンク・オブ・アメリカが期間中にダウンロード1件につき上限200万ドル(約2億400万円)まで1ドルずつ「エイズ・結核、マラリアと闘う世界基金」に寄付を行うという取り決めになており、結果300万ドル(約3億600万円)を超える寄付金を集めることに成功したと報じられた。同年5月にアメリカの大手楽器メーカー「フェンダー」はボノとジ・エッジが取締役に就任したと公式に発表した。

U2 ボーカル:ボノ(Bono)

bono_20091960年5月10日生まれ
ボノ(Bono)は、アイルランド・ダブリン出身のロックバンド、U2のボーカルであり、バンドのフロントマンとして知られる。本名はポール・デイヴィッド・ヒューソン KBE(Paul David Hewson KBE)。国際的な慈善活動家としても知られ、ノーベル平和賞の候補に3度選ばれている。

U2の歌詞のほとんどはボノによって書かれたもので、政治や宗教などの社会的なテーマを題材にした曲がを書くことが多い。特にバンド初期の活動で宗教的なことについての歌詞を書くことが多く、ボノの歌詞はU2を宗教的なイメージ付けをするものとなった。バンドがどんどん成熟するにつれて、彼自身やU2のメンバーの個人的な体験について歌われることが多くなった。ちなみにボノはアイルランドのチェス全国大会で準優勝のするほどの腕前である。また建築家の安藤忠雄と親交があり、自宅の設計を依頼した

U2での活動

アイルランドのダブリンで生まれ育ち、高校 (Mount Temple Comprehensive School) 時代にU2のメンバーや後に妻となるアリソン・ヒューソンと出会う。ドラマーであるラリー・マレン・ジュニアの呼びかけにより、U2の前身となるバンド(ラリー・マレン・バンド)の活動を開始する。最初はギター志望だったが、ギターを所有していないためボーカルに回った。1979年にU2としてメジャーデビューした後は、荒削りなボーカルや激しいライブパフォーマンス、大胆な発言などで注目を集める。作詞面では、国内外の社会・政治問題を強く問題提起し、社会派バンドとしてのU2のイメージをリードした。「WAR TOUR」のステージでは非暴力主義と不偏を表明する「白い旗」を振るパフォーマンスを見せている。

1985年のライヴエイドには、1983年の初来日時に入手した詰襟の学生服を着て登場。途中で観客席から引っ張り上げた女性と踊り始めたため、3曲演奏の予定が2曲で終わるというハプニングがあった。ボノが観客の女性を抱き寄せて歌うという演出は、U2のライブの定番になっている。
1990年代から、バンドと共に大きくイメージチェンジする。ライブではサングラスに黒装束の「ザ・フライ」、メフィストフェレスをパロディー化した「マクフィスト」などのキャラクターに変身し、トリックスターの如き奔放なパフォーマンスを見せた。歌唱法も声量豊かな直球派から、ファルセットを駆使する技巧派へ変わった。
2000年代に、かねてから関心のあったアフリカの発展途上国支援プロジェクトに積極的に取り組み始めた。2013年、映画『マンデラ 自由への長い道』では親交のあったネルソン・マンデラのために「Ordinary Love」を提供し、第71回ゴールデングローブ賞にて主題歌賞を受賞した。

慈善活動家の一面も

1985年、エチオピア飢餓救援コンサートライブエイドに参加した後、同国の孤児院で6週間、夫婦でボランティアをした。このとき、自分の知名度と影響力をアフリカの貧困撲滅のために使おうと決意した。米英独仏のトップに会い、協力を呼びかけた。

1990年代末よりスポークスマンとしての積極的な活動を始める。そしてアフリカ貧困国の対外債務帳消しを唱えるジュビリー2000運動に参加し、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世やアメリカ合衆国大統領ビル・クリントンに面談し、運動への理解を求めた。

2001年にはチャリティーシングル「What’s Going On:All Star Tribute」を企画(マーヴィン・ゲイの楽曲のカヴァー)これに様々な著名なアーティストが参加した。エイズ治療・研究基金を募る目的だったが、発売後にアメリカ同時多発テロ事件が発生したため、収益の半分をテロ犠牲者の家族支援基金へ贈った。
2002年にはジュビリー2000の延長として、DATA(Debt(債務)、AIDS(エイズ)、Trade(貿易)、Africa(アフリカ)の頭字語)を共同設立した。また、2004年よりONE Campaignの活動にも深く関わる。

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2005年G8サミットでは、アフリカに500億ドルの援助と最貧困国18ヵ国の債務免除をする事を約束させた。またボブ・ゲルドフに協力しLIVE 8開催に貢献。同年10月にはアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュ大統領と昼食をし、聖書の一節を引用しながら援助の約束を取り付けた。2006年1月の世界経済フォーラム年次会合では、売り上げの1%がエイズ対策基金に回るREDを新設した。

U2 ギターリスト:ジ・エッジ(The Edge)

1961年8月8日にイングランド生まれアイルランド育ち。ロック・ミュージシャンで、U2のギタリストである。本名はデヴィッド・ヒューウェル・エヴァンス(David Howell Evans)。「ジ・エッジ」というステージネームの由来は、本人の説明によれば、顔や鼻の形が角立っているからだという。

来歴

イギリス、ロンドンで生まれ、幼少時にアイルランドのダブリンに引っ越す。ギターやピアノを習い始め、手先が器用なためギターを自作したこともあった。高校時代、兄ディックと共にアマチュアバンド結成に加わり、1979年にU2としてシングル・デビューする。

なお、兄ディックはデビュー前に脱退し、ヴァージン・プルーンズのメンバーになっている。演奏法や器材の研究を重ね、空間的な音作りを追求し1980年代後半の『ヨシュア・トゥリー』『魂の叫び』などで、独自の演奏スタイルを確立した。『ZOOROPA』ではプロデュースにも参加している。

私生活では、1983年に結婚。その後3人の子どもが生まれるが、1996年に離婚してしまう。2002年に再婚し、さらに2児をもうけている。2人目の妻、モーリー・スタインバーグは振付師で、U2の「ZOO TV TOUR」にベリーダンサーとして出演している時に知り合った。